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報道写真家・沢田教一のカメラを展示

開催期間:2020年11月3日(火)

ベトナム戦争で「安全への逃避」を撮影し、ピュリツァー賞、世界報道写真展大賞など数々の賞を受賞した報道写真家・沢田教一が使用したカメラほか数々の資料を展示。

沢田教一使用品
沢田教一使用品
左:沢田が使用したヘルメット
上:ローライフレックス2.8C 1953(昭和28)年
下:ライカM2 1965(昭和40)年

日本カメラ博物館は、ベトナム戦争の現場で「安全への逃避」「泥まみれの死」など数多くの印象的な写真を撮影した報道写真家・沢田教一が遺した資料の寄贈を受けました。本年は沢田の没後50年にあたることから、来る11月3日(祝・火)より、沢田が使用したカメラや愛用品等の資料を公開いたします。

1936(昭和11)年、青森に生まれた沢田教一は、高校卒業後に地元の写真家、小島一郎が経営する写真店へと就職しました。そこではのちに夫人となるサタと出会い、ともに米軍三沢基地内の店舗で勤務したことで、英語力と海外へのあこがれを高めました。

1961(昭和36)年にUPI通信社東京支局に職を得た沢田は、1965(昭和40)年2月に休暇をとり、自費でベトナム戦争の取材に赴きます。直後にアメリカの軍事介入が本格化したことで戦火がベトナム全土へと広がり、沢田はそのまま現地取材を続けました。同年9月、川を泳いで逃げる家族を撮影した写真が「安全への逃避」として世界に配信され、世界報道写真展大賞および報道部門1位を獲得しました。1966(昭和41)年5月には、「安全への逃避」を含む複数の写真がピュリツァー賞(報道写真部門)を獲得し、同年に撮影された「泥まみれの死」「敵を連れて」が世界報道写真展で第1位、2位となるなど、撮影の成果が評価されました。

沢田はその後も取材を続け、ベトナム戦争のターニングポイントとなった1968(昭和43)年の「テト攻勢」では、古都・フエの激しい市街戦を撮影しています。同年9月にUPI香港支局へ転出したのち、1970(昭和45)年1月に再びUPIサイゴン支局へ赴任します。あたかもベトナム戦争は国内にとどまらず、ラオス・カンボジアなどの周辺国にも影響が及ぶ緊張状態のなか、沢田は取材を続けましたが、同年10月28日、カンボジアで移動途中に銃撃を受け、34年の生涯を閉じました。

この展示は、沢田教一が実際に使用したカメラおよび関連資料などの展示を通して、報道写真家として生命を懸けて取材にあたった沢田の業績を顕彰するものです。


沢田 教一 (さわだ きょういち)
1936年青森県青森市生まれ。1954年高校卒業後に地元の写真家、小島一郎が経営する写真店に勤務。ここでのちに夫人となるサタと出会う。1961年UPI通信社東京支局に職を得る。1965年2月に自費でベトナム戦争を取材。同年9月、川を泳いで逃げる家族を撮影した写真が「安全への逃避」として世界に配信され、世界報道写真展大賞を獲得。1966年5月には「安全への逃避」を含む複数の写真がピュリツァー賞(報道写真部門)を獲得。その後も取材を続けたが、1970年10月28日にカンボジアで銃撃を受け死亡。享年34歳。


開館時間

10:00~17:00

休館日

毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日の火曜日)および年末年始など当館が定める休館日

入館料

一般 300 円、小・中学生 無料
団体割引(10名以上)一般 200 円

所在地

102-0082 東京都千代田区一番町25番地 JCII 一番町ビル(地下 1 階)

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